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2023.10.21
「割烹やました」で祇園祭・神幸祭の神輿渡御を愉しむ
京都で7月17日といえば大概の人は祇園祭の花、山鉾巡行の日だという。
函谷鉾の巡行
それは間違いではないのだが、祇園祭の起こりが平安初期、全国で流行った疫病の祟りを祓う神事、祇園御霊会を嚆矢とすることから、八坂神社を午後6時に出立する三基の神輿(神様)が氏子地域をめぐり四条寺町の御旅所まで渡御する神幸祭(24日が還幸祭)こそが祇園祭という神事の本義であり、最も重要な神事であるということを知る旅人は意外と少ない。
17日の渡御を待つ三基の神輿:八坂神社舞殿
だから神幸祭の露払いとしての役割を担う山鉾巡行だけを観覧し、コンコンチキチン、コンチキチンの祇園囃で舞いあがり「いやぁ祇園祭は壮麗で迫力があった」と帰路につく観光客は、実は夕刻から催行される祇園祭の肝心かなめの神事を見ないまま、極論すれば真の祇園祭を見ずして京都を後にするといってもよいのである。
鶏鉾の音頭取り
と、たいそうな御託を並べたが、まずは「割烹やました」で腹ごしらえである。
例年、「やました」の店前に行列がやってくるのは午後7時頃である。それまでの時間、旨い料理に舌鼓を打ちながら、祇園祭の本義たる神事をお待ちするという算段である。
いうも明るい割烹やましたの板場
さて、当夜の喰いっぷりであるが、まず先付にはじまって、
先付
まずはと・・・カウンターの上の材料を物色していると、大将の「岩ガキのいいのがあるよ」のひと声で一品目は7、8年物の大ぶりのクリーミーな岩ガキを所望。
7、8年物の岩ガキ、久しぶり・・・
次に夏の定番、鱧!
薄造りもできるというので、初めて注文。
レアものの鱧の薄造り
もちろん、やました名物の炙り鱧も堪能しました。
田辺君が鱧を炙る
それから3月にお邪魔したときに仰天した蛤のイタリアン仕立てをお願いした。
蛤のイタリアン風炒め
料理に名前がついていないので、こちらで勝手に「リストランテ・やました」と命名したが、これがなかなかな美味で、長崎組の叔母もご満悦。
そして、野菜料理には芋茎(ずいき)の煮物をお願いした。
芋茎の煮物
いつもながら上品な味つけで、長崎組は珍しいといって味わっていた。
そして、怒涛のオーダーから1時間半が過ぎた7時過ぎ、いよいよ当夜のおたのしみ、神輿渡御の鑑賞である。
仲居さんの「きましたよ!」の汽笛一声ならぬ「合図一声」が店内に響き渡る。
するとお客がすわと、「一斉」に箸を置き、ワイワイと表へむかう。
さて神幸祭であるが、神輿の到着の前にまず百名ほどの神宝奉持列が粛々と都大路を練り歩いてくる。
外へ出るとまだ明るい。とおくから太鼓と幟を先頭に、三駒の騎馬武者が近づいてくる。
太鼓と幟が神宝奉持列を先導
騎馬武者もゆく
威風堂々の一隊である。
そして神宝を奉持する一隊の先頭には祇園祭の格式を示す円融天皇(在位969-984年)の勅令が記された「勅板」を抱える宮本組講員の面々が立つ。
勅板を奉持する宮本組講員
そのあとから数々の神宝を奉持した講員がわれわれの目前を通り過ぎてゆく。
緋色の和傘も艶やかな神宝奉持列
そして白馬に跨る久世駒形稚児がやってくる。その可憐で雅な様はまさに王朝絵巻の世界である。
白馬に跨る可愛らしい久世駒形稚児
その行列が過ぎてから神事の肝たる神輿がやってくるわけだが、それまではもう少し間がある。
そこでいったんわれわれはまた店内へと戻り、宴のつづきがはじまる。
再開の手始めは、お野菜と併せて鱧の天ぷら・・・と、鱧づくしで迫った。
鱧と野菜の天ぷら
次にグジ(甘鯛)の塩焼きをいただいた。さすがにお腹が一杯になってきた。
グジの塩焼き
・・・が、最後の〆に、なんとステーキを頼んでしまったわたしの餓鬼道ぶりには、細君以下皆さんさすがにあきれ顔であった・・・
…牛?だったか、ステーキです
もちろん、みんなで少しずつシェアしたのだけれども・・・
柔らかくて肉の味がしっかり、「やました」の肉はいつもひと味違うと納得・・・
さて、そうこうするうちに本番の神輿がやってきた。
御旅所への神輿渡御は三基のうち木屋町通りを通るのが素戔嗚尊(すさのおのみこと)の御霊をのせた中御座(なかござ)と、重さ2トンの最重量の神輿である八角屋根の西御座(素戔嗚尊の子、八柱の神々)の二基である。
まずやってきたのが中御座である。時刻は午後7時40分過ぎ。
中御座が「やました」の前を通過する
そして中御座が去ってから1時間40分経って、漸く、仲居さんから「来ました!」の聲。いつもはこんなに間隔はあかないのだが、今年は待つのが長かった。
遠くに西御座の灯りが見える
いよいよわたしの祇園祭がはじまるのだと、心臓が高鳴る。
やましたに門付けする西御座
その荒々しい担ぎを神様は殊の外、喜ばれるのだという。
大将がおもてなしをする
そして「割烹やました」への口上を述べ、もてなしの酒やジュースを飲み干し、しばしの休憩ののち木屋町通りを北へのぼってゆく。
木屋町通りにいつもの静寂が戻る。
御客たちは火照った頬を夜風になぶらせ熱を覚ますかのように夜の帳のなかで物思いにふけり、三々五々、店内へと姿を消していった。
こうしてわたしの2023年の祇園祭、割烹やましたの祇園祭が終わりを告げたのである。
今年も大将、そしてやましたの衆、ありがとう!!
2023.07.04
コキコキドライブ旅1700km 8日目 敦賀市から小浜市へ
前夜(2021.11.15)は敦賀駅前に建つ「敦賀マンテンホテル駅前」に投宿したが、夕食にはそこから500mのところにある老舗・「ヨーロッパ軒・敦賀駅前店」で福井名物のソースカツ丼を食べる予定であった。
ところが綿密に立てた計画であったはずが、その日は定休日ときた。
脳内はすでにソースカツ丼でいっぱい、畢竟、肉、肉、肉とホテル前の「文楽園」なる焼肉屋で今後の過酷なドライブ旅にむけてのエナジー注入となった。
そんな文楽園、コスパ最高の掘り出し物であった。おいしい焼肉をたらふく食べて、幸せな眠りについた。
翌朝、この旅のひとつの眼目でもある越前国一之宮・式内社の気比(けひ)神宮に詣でた。
この気比(笥飯)神宮の建つ土地であるが、第15代天皇・応神天皇との関係が深いのである。
日本書紀に天皇の父母宮・仲哀天皇と神功皇后が「角賀(つのが)に幸(いでま)し、即ち行宮(かりみや)を興(た)てて居(ま)します。是を笥飯(けひ)宮と謂う」と当地に行幸、逗留したことを記している。
また神功皇后も「武内宿祢に命(おお)せて、太子に従いて角賀(つぬが)の笥飯大神を拝(おろが)みまつらしむ」(紀・神功皇后摂政13年2月)と、息子の応神天皇に笥飯大神を崇敬参拝させたとあるなど、三韓征伐を成し遂げたばかりの緊迫した国際情勢のなかで、応神系王朝にとって半島との中継基地である当地が重要かつ無視できぬ地であったことが窺い知れる。
その故か、境内には敦賀の地名の由来となった角鹿(つぬが)神社(祭神 都怒我阿羅斯等命(つぬがあらひとのみこと))が摂社として祀られているのである。
そして日本書紀は応神紀冒頭でまことに奇妙な譚を語るのである。
気比神宮の主祭神である伊奢沙別命(いざさわけのみこと)は、実は応神天皇の本名であったと書いている。
応神が太子の時代、臣・武内宿祢を伴い淡海や越国を歴訪したが、角鹿の気比(笥飯(けひ))大神が武内宿祢の夢に顕れ、「神の名をもって太子の名に替えようとおもう」と宣ったので、太子が「去来紗別(いざさわけ)尊」から「誉田別(ほむたわけ)尊」へ、一方の大神が「誉田別神」から「去来紗別神」へと易名(なかえ)したというのである。
因みに笥飯(けひ)とは風変わりな呼び名であるが、「笥(はこ・け)」は食物を盛る器の古語であり、笥飯を直訳すれば器に盛られた飯、「食(け)」の「霊(ひ)」すなわち食物神(御食津神)をあらわすのだそうだ。
そして時代が下り皇統が途絶えようとしたとき、越国を地盤とする男大迹(おおど)王(継体天皇)が応神天皇五世の孫として暴虐な武烈天皇の後を襲った。
記紀の説話は男大迹王の正統性を謳うため、出身国たる越国が応神系王朝にとって深い縁を有する地域である証として必要なものであったと考えるべきなのか、いずれにしても奇妙な神性具備の譚ではある。
そんな謎に後ろ髪をひかれながらも、次に常神半島の突端近くに鎮座する常神社(つねがみしゃ)へと向かった。
常神社は気比神宮の奥宮であったという言い伝えを残す式内社である。
氣比神宮社伝に「常宮は若狭の常神を移し祀りたるにて、古より氣比宮の摂社なりと云へり」と、常神が現在の奥宮である常宮神社(敦賀半島)へ遷った古記録と併せ考えると、この古色蒼然とした常神社こそが笥飯神宮発祥の社であったといってよい。
さて常神社の主祭神は神功皇后とあるが、相祀されている渡津松神、神留間神、三望大神の三柱が何者かはまったくの謎となっている。
そしてこの古社の旧地が半島の先端500mに浮かぶ御神(おんがみ)島であり、そのまた旧地が現在の地であるという行ったり来たりの魔訶不思議。
事程左様に笥飯大神という神様は本当に謎に満ち満ちているのである・・・
そして常神社が鎮座する常神半島をふくむ敦賀・若狭一帯が、先の易名説話や常神社に「従二位常大明神」という高い神階が授与されたこと、半島名の「常神」は言うに及ばず「御神島」、「神子(みこ)」といった「神」に由来する地名が残るなど往古、強い神威がおよぶ聖域と見做されていたのではないか、謎は解けぬままである。
また半島の遊子(ゆうし)浦および小川・神子・常神の4つの浦にはかつては産小屋を設けそこでお産をする習わしがあったという。
敦賀半島の手浦や色浜のサンゴヤや浜松市の旧山瀬家のコヤ、長崎県対馬鴨居瀬や御前浜に代表される海人族と同様の習俗が伝えられており、往古、海上交通の要衝として海民で栄えていたことがうかがわれるが、笥飯大神に海神の影が一切見えないのも奇妙なものと思っている。
さて、神さびた常神半島を南下し福井県最後の逗留地である小浜へ向かう途中、半島の根元近くに三方五湖と呼ばれる名勝があったので立ち寄った。
その道草は大正解であった。
青空に浮かぶ白雲が汽水湖の面に映る風景はまさに絶景。
ミラーレイクを吹きわたる風が心地よかった。
いよいよ福井最後の宿となる四季彩の宿へと向かうが、その前に神宮寺という古刹を訪ねた。
「お水送り」という千二百年もの間連綿とつづく神事を催行しているのがこの神宮寺である。
奈良東大寺の二月堂で3月12日に行われる「お水取り」はあまりにも有名であるが、その10日前にここ若狭の神宮寺で行なわれている「お水送り」という神事を知る人はあまり多くはなかろう。
お水送り神事の一連の流れであるが、ひと月前に境内の閼伽井で汲んだお水を、住職が本堂にこもり、日に6回の読経で浄め、3月2日の一斉勤行で聖なる水と化した香水(こうずい)を夜半、松明行列の先導により遠敷(おにゅう)川上流の鵜の瀬に流す、その最後の神事を指して「お水送り」と称されている。
その神事の由来が面白い。
東大寺のお水取りの創始者・実忠和尚が二月堂建立の際の「十一面悔過(けか)」の法要で全国の神々を勧請するも、若狭の遠敷明神だけが遅参した。遅れた理由が遠敷川で釣りに夢中となったためというのである。
爾来、十一面悔過の法要の際、その井戸から香水を汲みだしご本尊にお供えするのが仕来りとなった。
若狭の鵜の瀬から地下水系を通じ10日間かけて香水が二月堂の井戸に届くことから「若狭井」と名付けられたという。
まことに興味深い譚で、古代、大陸文化の流入地であった若狭と内陸深く位置する平城京との密接な関係を今に伝える奇祭である。
そしていつか機会があったら、お水送りの神事、松明行列に参加してみたいものと思いながら、小浜湾を眼前に見る瀟洒なホテル、四季彩の宿・花椿へと向かった。
女性の一人旅にうってつけのプチホテルである。お部屋からは可愛らしい小浜湾が見渡せる。
また早朝には白砂の浜辺を一人散策するのも趣きのある、素敵な宿であった。
2023.05.31
フェリー移動1,500km・車走行2,300kmの北海道のドライブ旅、完遂!!
1年半前に決行した浜名湖・下呂温泉・五箇山合掌村・金沢市・福井市・敦賀市・小浜市・京丹後市間人温泉・城崎温泉・高松市、そして徳島沖洲港からフェリーで東京有明港という総移動距離2,900km、車走行距離1,700㎞におよぶ「コキコキドライブの旅」のブログ掲載はいまだ途中で頓挫したままである。
そんななかで、この5月、北海道をマイカーで一周してみたいという長年の夢を果たした。
完全なる一周ではなかったが、大洗(茨城)からフェリーで苫小牧西港往復、道内は苫小牧から富良野・留萌・稚内・紋別・網走・知床・根室・川上郡弟子屈・帯広と北海道のほぼ3/4を廻るドライブの旅を敢行した。
総移動距離3,800km・車走行距離2,300km、11泊12日におよぶ大旅行になった。
5月8日、19:45に商船三井「さんふらわあ・さっぽろ」にて大洗港を出港、翌5月9日、13:30、苫小牧西港着。
そこから道内を9泊しながら雄大な北海道の景色を愉しもうという計画である。
もちろん前もって行程を綿密に策定、宿泊先もHPからのネット予約で手配していた。
そして5月18日の18:45に苫小牧を同じ「さんふらわあ・さっぽろ」で出航、19日、14:00に大洗帰港という日程であった。
車の運転はわたしと細君で分担、細君もほぼ1,000km近く運転したのではなかろうか。
想像していた通りの緩やかな起伏はあるがどこまでもまっすぐに伸びる道。
知床の斜里町の「天につづく道」はこれぞ北海道!!の胸のすくような一筋の道であった。
またホタテ貝の貝殻を砕いて敷いてつくられた宗谷丘陵の「白い道」は皐月の蒼穹に映え、オホーツク海を鳥瞰しながらのゆっくりとしたドライブはお伽話の世界に入り込んだような魅力的な体験であった。
それから両側にたんぽぽが咲く若草色の草原。これぞ北海道といった景色がそこここにひろがる。
また茫漠とひろがる日本海、オホーツク海の景色を窓外に流しながら車を駆るのも爽快であった。
特にはじめて目にするオホーツク海は印象的であった。
半島や岬巡りも留萌の黄金岬にはじまり、稚内のノシャップ岬、宗谷岬、枝幸町の能取岬、納沙布岬そして知床半島や野付半島と、ずいぶん欲張って走り回った。
また北見市にある日本で3番目に大きい湖で汽水湖に沈む夕日も素晴らしかった・・・
知床半島は大きな船であれば安全ということで、「おーろら号」で1時間半の海からの知床半島を愉しんだ。
また内陸の方では、富良野では倉本聰氏のドラマにちなむ「風のガーデン」を散策した。
ロケセットの建物が長年の年月を経て、富良野の景色のなかに融けこんで美しいのひと言であった。
道内最後の宿泊地となった帯広でも新緑の饗宴が素晴らしい「真鍋ガーデン」をゆっくりと回遊した。
ここも朝ドラ「なつぞら」の舞台となったところで、ロケセットの家屋が建っていた。
道内で訪れたガーデンは敷地をふんだんに使い、しかも冠雪の山並みを借景とするなど本州とはそのスケールと巧まざる意匠において大きく異なっていた。
留萌ではホテル裏のお鮨屋で店主ご夫妻とあとから来店された地元で大きな居酒屋を経営しているオーナーも交えてほのぼのとした会話を交えることができた。
本州などのことを「内地」と今でもふつうに呼んでいることには驚いた。
若い人も親がそう喋っているので、若い人も「内地」とよぶとのこと。
実際に帯広のジンギスカン料理の老舗でスタッフの若い娘さんが、「内地から来られたんですか?」といったのには、正直、驚いた。
そして、細君が半世紀前に列車に乗って訪ねたという「愛国駅」や「幸福駅」(両駅共に現在、廃線となったが駅舎が復元されホームも残されている)にも足を運んだ。
愛国駅舎内に展示された資料に、昭和48年に24万人だった普通乗車客数が翌49年には204万人へと激増したことがわかった。
その激増した204万人の乗客数の1人に、わが細君が貢献していたことになる。
説明板によると昭和48年3月にNHKで放映された「新日本紀行 幸福への旅~帯広~」がブームの火付け役となったとあったが、昭和の時代はテレビしかもNHKが社会におよぼす影響というのは、今では考えられぬほど大きかったのだなと思った。
その頃、わたしも陸上部のキャプテンだった友人から北海道旅行の土産といって、「愛国駅から幸福駅」の実際の切符を手渡されて、へぇ~!と世の中、物好きな人もいるもんだとその時、思ったものだ。
そんな204万人の奇特な人たちのなかの一人の女性がいま生涯の伴侶として自分の傍らにいることの不思議といおうか人の縁というものに思いをいたし、人生とはまことに奇妙奇天烈なものだとしみじみと感慨にふけっているところである。
ところでこの幸福駅では、当時の国鉄の乗車切符を復刻し、記念品として販売していた。
そのキーホルダー版も作成されており、高校時代の友に今度はお返ししようと買い求めてきた。
お互いの青春時代に想いを馳せさせてくれた玩具のような幸福駅探訪ではあった。
こんな長期にわたるドライブ旅もあとどれくらい続けられるか、正直、心配である。
体躯と運転技術がいうことをきくうちにと、長距離旅が可能なのはここ2、3年だろうかと二人で語り合いながら旅行である。
したがってこの大遠征では古希を超えた老夫婦ということで、旅の後半、阿寒摩周国立公園内にある名泉・川湯温泉で2泊し、長旅の疲れを癒すことで日程を組んだ。
実は旅を終えて、今回は前回と異なり思った以上に体力を消耗したと実感している。今後の長旅にはこうした休息日の設定が必須であると認識を深めた次第である。
と、殊勝な思いにとらわれている一方で、今のうちに思い残すことがないようにこの日本という国土のうえを走り回っておこうと、北海道の大遠征を終えた端の先からもう次の旅へと心はうずいているのだから小生もしようがない・・・
2023.04.09
「割烹やました」で、陶磁器専門家Robert Yellin(ロバート・イエリン)氏
先ごろ「割烹やました」でたまたま隣り合わせた陶磁器専門家のロバート・イエリン(Robert Yellin)氏(米国ニュージャージー州サンディエゴ出身)について、ご紹介したい。
陶芸の世界については人並みの興味はもつが、展示会まで足を運ぶのはよほどの義理があるか、世間の話題にのぼった時にのぞいてみようかという程度の藤四郎(とうしろう)である。
そんな私が銀閣寺から500mほど、大文字山を望む琵琶湖疎水(白川疎水)沿に建つロバート・イエリン氏の住居兼ギャラリーにお邪魔した。
ギャラリーといっても格子戸を構えた趣ある和式の普請であったので、探し当てるのに少々手間取った。そして予約をとるのがむずかしい懐石料理の名店、「草喰(そうじき)なかひがし」が疎水を挟んで対面にあったのにはびっくりした。
さて、洛北の名刹、曼殊院と詩仙堂を拝観してからギャラリーにたどり着いたのは午後2時前であった。
格子戸が閉まり暖簾がしまわれた玄関内も真っ暗な状態でお留守の様子。
細君が何度かインターフォンを鳴らして往訪を告げていたが反応がなく諦めかけたところ、中で人の気配が・・・
そして格子戸が開き、一昨日のイエリン氏が姿をあらわした。
細君の顔を見て「お~!」ということで、わたしも屋内へと足を踏み入れた。
午前中に宇治の方へ著名な陶芸家の窯を訪ね、ちょうどいま戻ったところだという。
照明がつけられ、上がり框の前にひろがるギャラリーの床は黒の石敷き。
奥に陶芸作品の置かれた畳の間がつづく。
その先、ガラス戸越しに見える中庭と回り廊下の佇まい。
その様は静謐な空気感を醸し、たちまち心が鎮まってくる。
そんなギャラリーでイエリン氏が陳列された作品の数々を解説してくれた。
そこの信楽焼は誰々作の壺で、横の備前の花器は誰それの作品で・・・とポンポンと人間国宝だという陶芸家の名前が飛び出してくる。
もちろん当方はチンプンカンプン。
唯一、今泉今右衛門の花入れだけは、「この淡いグレーが特徴的」と捻りだすようにコメントできたのがやっと。
むか~し、仕事で有田を通過したときにせっかくだからと言って今右衛門の工房に案内されたことがある。
その際に見せていただいた花瓶がぼかした灰色のなかに何の花だったか朧月のように描かれていたのが妙に印象に残っていた。
しかしそれが「墨はじき」という技法なのだということを、此度、今右衛門窯のHPで初めて知ったのであって、その体たらくと云ったらない。
いずれにしても同氏が各地の窯元を訪ね歩き蒐集したコレクションは超一級品ぞろいなのだろう・・・、何せ人間国宝の作品がこれでもかというほどに無造作に陳列棚に飾られているのだから。
そして、今右衛門の花入れを手に取って、「これは14代本人の作品であるが、今右衛門工房で職人が造ったものとの違いを見分けるにはここを見ればわかる」と、花器の底を見せられるにおよび、同氏の陶芸に対する鑑識眼や造詣の深さが並々ならぬものであり、さらには日本文化に心酔し40年もの長きにわたりこの国に居つくその生きざまに深い感銘をおぼえた。
その一方で外国の方に日本の陶芸の魅力を教授され、日本人として己の不明を深く恥じたところである。
「割烹やました」には海外からのクライアントをお二人お連れし、歓談されていたが、インターネットで海外へ向けて日本の陶芸の魅力を紹介しているのだそうで、その日も彼のコレクションを求めて海外からやってきた美術愛好家であったという。今回は作品を2、3点求めて帰国されたのだそうだ。
そうした海外からの美術愛好家のなかでかのスティーブ・ジョブズの案内役をApple社の依頼でかつて務めたこともあるそうで、驚いたところである。
そんな異国の人が日本文化を熱く語るロバート・イエリン氏、琵琶湖疎水の流れを傍らにおき、一度、「ロバート・イエリンやきものギャラリー」を訪ねてみてはいかがであろうか。
その日は帰京することもあり、また「割烹やました」で再会しようと言い交し別れを告げた。
2023.03.29
割烹やました 弥生の京都、珍味をめでる
昨年の新緑の5月以来、久方ぶりの弥生の「割烹やました」である。
当日は長年の懸案であった二条城へ、半世紀ぶりの拝観を果たしたあと、「割烹やました」で京の弥生の味覚を堪能した。
前回は医者からアルコールを控えるようにいわれていた最中だったので、せっかくの「やました」の料理を味わい尽くすといった気分でなかったのか、どうも乗りが悪かったなという記憶しか残っていない。
現に、ブログにも鰻の蒲焼の写真を掲載したのみで、常の食への執念が感じ取れない。
それもあってか此度は5時半で予約をとった。
しかも大将の正面の席をお願いし、料理談義に花でも咲かせようと意気込んだところだ。
席に腰を落とすや否や、細君がいつものようにカウンターに盛られた食材に視線をめぐらす。
本日は大ぶりの肉厚な椎茸、そして蛤、赤貝・・・なかでもわが家のひな祭りのお吸い物に入っていた“角上魚類”の蛤とくらべて、どうしてこんなに大きな蛤がと、呆れ果てるほどの大きさである。
そして毛ガニ・・・
わたしの口のなかはすでに生唾で大洪水・・・
さて最初に赤貝のお造りで「桃の滴」を一献・・・
その間に細君が蛤をいろんな食べ方をしてみたいと、大将におねだり・・・
そこで出てきたのが、ひとつは蛤の炒め物。
炒めた蛤、トマトの酸味とアスパラの香りが絶妙の取り合せである。「リストランテやました」、半端ない!!
もうひとつが蛤の天ぷら・・・これには肉厚の例の椎茸もついていた。
ひと口食べて・・・へぇ~とわたし・・・
天ぷら大好き人間の細君はというと・・・この肉厚なむき身でないと天ぷらにはできないなと、わが家の蛤をおそらく思い浮かべていたのだろう、頬をゆるませていた。
そしてわたしはこの日が今年最後となる“てっさ”だというので、“ふぐ刺し”をいただく。
かつてこの「やました」の調理で、初めて“ふぐ刺”の旨さを知らされた。
次にお野菜というか、春の初物づくしで、初筍と新ワカメの若筍煮をいただく。
細君はここらでもうお腹はいっぱいになったというが、ノドグロの塩焼きなんぞどうかと誘い水を向けると・・・いとも簡単に・・・陥落・・・
脂がのった・・・言うも言われぬ美味しさ・・・
そしていよいよ細君が本日は腹仕舞いということで、明日の朝にと・・・鯖寿司を包んでもらうよう頼んでいた。
その様子を感知したわたしは・・・これで久方ぶりの「やました」を撤収というのでは、東男が廃(すた)るというもので・・・大将に腹はいっぱいになったが、酒の摘みになる変わったものをすこしとお願いした。
そして出てきたのが次なる珍味オンパレード・・・
びっくりと言おうか、世の中、ほんとうに珍味なるものがあるのだと、この夜、食の奥深さに唸らされたものである。
まず、バチコの材料というかこれを日干しにしてバチコにするという、「なまこの卵巣」が供された。
バチコそれ自体が珍味であるのに・・・これはまさにレアな・・・天下の珍味であった。
さらに「のれそれ」なる珍妙な名前の代物・・・
白魚の踊り食いではないが、それより大ぶりな透明な・・・穴子の子だというではないか。
咽喉越しはすっきり、スルリとした食感で、これまた食べ応えのある珍味であった。
次に・・・これって何だったか? う~ん・・・名前が思い出せない・・・でも、珍味!!
最後に「いぶりがっこ?」
・・・食後にあっさりレモンをかけた一品。
口内はすっきり爽やか、なかなかな珍味のオーダーではあった。
そして忘れちゃいけないのが、それなる珍味にあわせる酒をと用意してくれたのが、とっておきの伏見の限定品でアルコール度も12%の発泡酒。
名前を控えなかったので・・・お相伴した細君も名前を思い出せなかった・・・
まさに上質のシャンパンであり、一本、買って帰りたいと申し出たが、本数がないのだと、さすがの大将も首を縦には降らなかった。
かくして、胃袋をドンチャンさせた弥生の「やました」の夜はふけていったのである。
押小路橋まで見送ってくれた大将とあれこれ話は尽きなかったが、互いの健康を誓い合い、夏の再訪を約してお別れをした。
やはり・・・「やました」はいつも最高の気分にさせてくれる京都の名店ではある。
2018.03.19
青の迷宮都市 ‶シャウエン”

青の迷宮都市シャウエンの旧市街
1471年 、モロッコ北部からのポルトガルの侵略と戦うために要塞として造られた町で、リーフ山脈の麓の斜面を利用して造られています。スペインによるレコンキスタの後、多くのイスラム教徒やユダヤ教徒がここに定住するようになりました。そのため、スペインのアンダルシア地方の影響が色濃く残っています。また、建物が青く塗られたのは、ユダヤ教で青が天や神を示す神聖な色であることに由来するとの説や、夏場の暑さを視覚的に紛らわせるという説、青は虫を寄せ付けない色であるなど色々な説がありますが、本当の所は良く分かっていません。

シャウエンの町を遠望。
町の中は迷路の様に入り組み、一人で歩いているとすぐに迷ってしまいそうになります。それでも何気なく入った細い路地が、なんとも表現できない美しさを持っていたりするのがこの町の魅力です。

家庭やホテル、レストランなどのドアも青色。

まさに青の迷宮都市という名前がぴたりです。

青色で造られたモスク。

広場の水場も青色を基調に造られています。

お土産店やカフェなどもたくさんあり、見ているだけでも楽しくなります。

西遊旅行の団体ツアーでお泊り頂くホテルはこの旧市街の入り口に位置する「パラドール」。ホテルから徒歩でこの青い迷宮都市を散策できる好ロケーション。この町の楽しみ方はやはり時間の許す限り、迷路の様な旧市街を練り歩き、青の世界を存分に楽しむ事に限ります。モロッコに行く際には是非、シャウエンも訪れてみて下さい。
青の迷宮都市シャウエンへ行くツアーは下記をクリック↓
青の迷宮都市シャウエンからサハラへ モロッコ周遊の旅
モロッコへの個人旅行はこちらをクリック
2013.12.19
ディレクターが考える「もし○○が終わらなかったら」~LINEディレクターブログ締めます~
たとえば人の命が終わらない場合、通勤地獄はさらに大変になりそうです。

身近なケースだと、飲み会は終わりどきを間違えるとグダグダになるし、次のように、会議で終わらない話をする人ほど迷惑なものはありません。

ちなみにとある会社の取締役が「結婚式のスピーチが3分を超える者は、役員をやめろと言っている」と話していました。
このように、終わりどきを間違えたケースを学ぶことで“正しく終わる”ことができるのではないでしょうか。そこで今回は様々な終わらないケースを考えてみました。
もし1年が終わらなかったら

1年は365日ですが、これがもし5,000日くらいだったらどうなるでしょうか。
とりあえず日めくりカレンダーは大変な厚さになりそうです。
やはり、キリのよい所で1年は終わってほしいものです。
もし男性アイドル時代が終わらなかったら

男性アイドルもいい年になると、渋みのあるオジサン俳優にキャラチェンジを図りますが、もしアイドル路線をそのまま続ければどうなるのでしょうか。映画「おくりびと」もあるくらいなので、墓まいりをテーマにしたオシャレな恋愛ドラマを見られるかもしれません。ちなみに写真に出てもらっているのは親戚のおじさんです。
もし結婚式が終わらなかったら

同じ人の結婚式に、何度も呼んで頂くことがあります。
友情を何度も確認できてうれしいのですが、
これが何度目だと、来賓者は怒りだすのでしょうか。
結婚もまた、ほどほどで終わっておいた方が良さそうです。

ちなみにオバチャンの衣装はリカちゃんからもらいました。

さて、これらのように、終わりどきを間違えると、ろくな事にならなそうです。
終わることの意味とは

以前、恋を終わらせる「縁切り寺」に取材に行きました。
そして住職にこう質問しました。
「キリスト教では離婚が禁止の宗派もあるのに、なぜ仏教には縁切り寺があるのですか?」
すると、「縁切りとは縁結びのことなんです。悪い縁を切るから、良い縁にめぐり合いやすくなるんですね。だから仏教の縁切り寺は、縁結び寺なんですよ」という深い答えが返ってきました。
終わるから始まる。
そしてこのLINE Corporation ディレクターブログも、今年をもって終わります。
長らくご愛読ありがとうございました。
2007年06月11日に公開した最初の記事は、私が書きました。
だから最後の記事も書いています。新しい何かに、ぜひご期待ください。
--
※編集部から
ディレクターブログを長らくご愛読いただきありがとうございました。
今回を持ちまして一旦終了とさせていただきます。しかし、今後も何かしら発信したいことがあれば何事も無かったかのように更新を行う予定ですので引き続きRSSリーダー等では登録したままにしておいていただけますとありがたいです。なんと言いますか「とりあえず一軒目はここまで、よーおっ、ポン」的な、二次会行くー?的な、一旦締めましょう的な、そういった意味合いでの「終了」という形です。
今回、一旦の「締め」となった背景には「ディレクターという仕事を広く知ってもらうためにWebページやコンテンツの作り手から情報を発信していきたい」という当初の目標がある程度達成され、当ブログ以外にも大変有益な情報やノウハウを発信されているメディアが数多く登場したことがあげられます。
良い縁にめぐり合いやすくなるよう、そういったブログやメディアをいくつか紹介させていただき当ブログの締めとさせていただきます。(URLのアルファベット順です)
・サイバーエージェント公式クリエイターズブログ 1 pixel
http://ameblo.jp/ca-1pixel/
・Six Apart ブログ
http://blog.sixapart.jp/
・GREE Creators' Blog
http://cr.gree.jp/blog/
・DeNA Creator(クリエイター) Blog
http://creator.dena.jp/
・Find Job ! Startup スタートアップのためのナレッジメディア
http://www.find-job.net/startup/
・ガイアックスソーシャルメディアラボ
http://gaiax-socialmedialab.jp/
・nanapi社長日記
http://blog.livedoor.jp/kensuu/
・nanapi TechBlog
http://nanapi.co.jp/blog/
・VOYAGE GROUP UIO戦略室ブログ
http://uio.voyagegroup.com/
・Yahoo! JAPAN Creative Blog
http://yj-creative.tumblr.com/
2013.11.05
[会場提供]Web Director Meetup Vol.9のお知らせ
イベントについては公式サイトをご覧ください。
Web Director Meetup 公式サイト
※本イベントはボランティアによるWeb Director Meetup運営実行委員会によって運営されています。

日時や場所
【日時】
2013年12月12日(木)19:00開場 19:30開演 22:30終了予定
【場所】
LINE株式会社 オフィス内カフェスペース
〒150-8510 東京都渋谷区渋谷2-21-1 渋谷ヒカリエ 27階
Access:
東急田園都市線、東京メトロ副都心線「渋谷駅」15駅出口直結
東急東横線、JR線、東京メトロ銀座線、京王井の頭線「渋谷駅」2F連絡通路で直結
本イベントについて
応募方法、イベント内容については公式サイトからご応募いただけます。
イベント内容・応募方法について
いい機会ですので、当社自慢のカフェにぜひお越し下さい!
2013.11.05
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