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2023.05.31
フェリー移動1,500km・車走行2,300kmの北海道のドライブ旅、完遂!!
1年半前に決行した浜名湖・下呂温泉・五箇山合掌村・金沢市・福井市・敦賀市・小浜市・京丹後市間人温泉・城崎温泉・高松市、そして徳島沖洲港からフェリーで東京有明港という総移動距離2,900km、車走行距離1,700㎞におよぶ「コキコキドライブの旅」のブログ掲載はいまだ途中で頓挫したままである。
そんななかで、この5月、北海道をマイカーで一周してみたいという長年の夢を果たした。
完全なる一周ではなかったが、大洗(茨城)からフェリーで苫小牧西港往復、道内は苫小牧から富良野・留萌・稚内・紋別・網走・知床・根室・川上郡弟子屈・帯広と北海道のほぼ3/4を廻るドライブの旅を敢行した。
総移動距離3,800km・車走行距離2,300km、11泊12日におよぶ大旅行になった。
5月8日、19:45に商船三井「さんふらわあ・さっぽろ」にて大洗港を出港、翌5月9日、13:30、苫小牧西港着。
そこから道内を9泊しながら雄大な北海道の景色を愉しもうという計画である。
もちろん前もって行程を綿密に策定、宿泊先もHPからのネット予約で手配していた。
そして5月18日の18:45に苫小牧を同じ「さんふらわあ・さっぽろ」で出航、19日、14:00に大洗帰港という日程であった。
車の運転はわたしと細君で分担、細君もほぼ1,000km近く運転したのではなかろうか。
想像していた通りの緩やかな起伏はあるがどこまでもまっすぐに伸びる道。
知床の斜里町の「天につづく道」はこれぞ北海道!!の胸のすくような一筋の道であった。
またホタテ貝の貝殻を砕いて敷いてつくられた宗谷丘陵の「白い道」は皐月の蒼穹に映え、オホーツク海を鳥瞰しながらのゆっくりとしたドライブはお伽話の世界に入り込んだような魅力的な体験であった。
それから両側にたんぽぽが咲く若草色の草原。これぞ北海道といった景色がそこここにひろがる。
また茫漠とひろがる日本海、オホーツク海の景色を窓外に流しながら車を駆るのも爽快であった。
特にはじめて目にするオホーツク海は印象的であった。
半島や岬巡りも留萌の黄金岬にはじまり、稚内のノシャップ岬、宗谷岬、枝幸町の能取岬、納沙布岬そして知床半島や野付半島と、ずいぶん欲張って走り回った。
また北見市にある日本で3番目に大きい湖で汽水湖に沈む夕日も素晴らしかった・・・
知床半島は大きな船であれば安全ということで、「おーろら号」で1時間半の海からの知床半島を愉しんだ。
また内陸の方では、富良野では倉本聰氏のドラマにちなむ「風のガーデン」を散策した。
ロケセットの建物が長年の年月を経て、富良野の景色のなかに融けこんで美しいのひと言であった。
道内最後の宿泊地となった帯広でも新緑の饗宴が素晴らしい「真鍋ガーデン」をゆっくりと回遊した。
ここも朝ドラ「なつぞら」の舞台となったところで、ロケセットの家屋が建っていた。
道内で訪れたガーデンは敷地をふんだんに使い、しかも冠雪の山並みを借景とするなど本州とはそのスケールと巧まざる意匠において大きく異なっていた。
留萌ではホテル裏のお鮨屋で店主ご夫妻とあとから来店された地元で大きな居酒屋を経営しているオーナーも交えてほのぼのとした会話を交えることができた。
本州などのことを「内地」と今でもふつうに呼んでいることには驚いた。
若い人も親がそう喋っているので、若い人も「内地」とよぶとのこと。
実際に帯広のジンギスカン料理の老舗でスタッフの若い娘さんが、「内地から来られたんですか?」といったのには、正直、驚いた。
そして、細君が半世紀前に列車に乗って訪ねたという「愛国駅」や「幸福駅」(両駅共に現在、廃線となったが駅舎が復元されホームも残されている)にも足を運んだ。
愛国駅舎内に展示された資料に、昭和48年に24万人だった普通乗車客数が翌49年には204万人へと激増したことがわかった。
その激増した204万人の乗客数の1人に、わが細君が貢献していたことになる。
説明板によると昭和48年3月にNHKで放映された「新日本紀行 幸福への旅~帯広~」がブームの火付け役となったとあったが、昭和の時代はテレビしかもNHKが社会におよぼす影響というのは、今では考えられぬほど大きかったのだなと思った。
その頃、わたしも陸上部のキャプテンだった友人から北海道旅行の土産といって、「愛国駅から幸福駅」の実際の切符を手渡されて、へぇ~!と世の中、物好きな人もいるもんだとその時、思ったものだ。
そんな204万人の奇特な人たちのなかの一人の女性がいま生涯の伴侶として自分の傍らにいることの不思議といおうか人の縁というものに思いをいたし、人生とはまことに奇妙奇天烈なものだとしみじみと感慨にふけっているところである。
ところでこの幸福駅では、当時の国鉄の乗車切符を復刻し、記念品として販売していた。
そのキーホルダー版も作成されており、高校時代の友に今度はお返ししようと買い求めてきた。
お互いの青春時代に想いを馳せさせてくれた玩具のような幸福駅探訪ではあった。
こんな長期にわたるドライブ旅もあとどれくらい続けられるか、正直、心配である。
体躯と運転技術がいうことをきくうちにと、長距離旅が可能なのはここ2、3年だろうかと二人で語り合いながら旅行である。
したがってこの大遠征では古希を超えた老夫婦ということで、旅の後半、阿寒摩周国立公園内にある名泉・川湯温泉で2泊し、長旅の疲れを癒すことで日程を組んだ。
実は旅を終えて、今回は前回と異なり思った以上に体力を消耗したと実感している。今後の長旅にはこうした休息日の設定が必須であると認識を深めた次第である。
と、殊勝な思いにとらわれている一方で、今のうちに思い残すことがないようにこの日本という国土のうえを走り回っておこうと、北海道の大遠征を終えた端の先からもう次の旅へと心はうずいているのだから小生もしようがない・・・




























