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2024.04.03

泊まってみたい宿 ギネス認定世界最古の温泉宿 西山温泉・慶雲館

かねて参詣したいと願っていた身延山・久遠寺へこの3月、ようやく1泊の旅で叶うこととなった。

⓪身延山久遠寺・三門

身延山・久遠寺三門
わが家から中央道を走り双葉JCTで中部横断自動車道へ入り、身延ICでおりるコースで向かった。

そこで宿をどうするかとなったが、細君が近くの西山温泉に世界最古の温泉宿とギネス認定された慶雲館という旅館があると云う。

⓪慶雲館全景

慶雲館
慶雲館の名は温泉が発見された慶雲2年(705)の元号に由来するのだという。たかだか1759年創業のビール会社(アーサー・ギネス)ごときに認定を受けること自体が噴飯ものであると思ってはみたのだが・・・やはりギネスの名前と、「お食事は個室でのんびりと♪」の謳い文句にころっと負けて、早々にHPからネット予約を入れた。

当日は眼目の身延山久遠寺をゆるりと参詣してから4時過ぎに宿へ到着した。

⓪手前祖師堂と本堂

久遠寺・祖師堂と本堂
ただ久遠寺から西山温泉へは富士川の支流である早川の上流へと渓谷を分け入ってゆく。

リニア新幹線のルートになっているらしく幅の狭い県道を往来する工事用の大型ダンプとすれ違いながらの運転は、鄙びた温泉をイメージしていたわたしは少々閉口した。

⓪工事用の大型ダンプが川原に

川原には工事用の大型ダンプが・・・
丁度1時間ほどで川のほとりに建つ「世界最古の温泉宿」・慶雲館に到着した。

⓪慶雲館・ロビー

ゆったりとしたロビー
ところで、ここで古代の温泉について少し蘊蓄を垂れさせてもらいたい。

日本最古の温泉といえば、日本書紀に舒明天皇(在位629-641)が3か月も逗留した有馬温泉や有馬皇子や斉明天皇(在位655-661)が訪れた紀州の白浜温泉(牟婁温湯)の名がでてくる。

また風土記の伊予の国・逸文では、「湯の郡」では医薬・温泉の神さま少彦名命(スクナヒコナノミコト)が別府温泉の湯を海底に樋を引き道後へと温泉を導き、瀕死の大国主命を蘇生させたという有名な逸話が載っている。

⓪道後温泉

道後温泉・本館
さらにそこでは、道後温泉へは天皇の御幸が①景行天皇、②仲哀天皇・神功皇后、③聖徳太子、④舒明天皇、⑤斉明・天武・天智天皇の7天皇、5回を数えたとあるなど、古くから温泉の効能が広く知られていたことが分かる。

さらに出雲国風土記の「意宇の郡(オウノコオリ)」には、「川の辺に出湯あり。・・・男も女も老いたるも少(ワカ)きも、或いは道路に駱駅(ツラナ)り、或いは海中を洲に沿ひ、日々に集い市をなし、まがひて宴す・・・沐(ユアミ)すれば・・・万の病ことごとく癒ゆ・・・神の湯という」と、現在の玉造温泉が湯治客で市も立つほどに殷賑を極めている様子が活き活きと描写されている。

玉作湯神社本殿を真横から

玉造温泉に鎮座する式内社・玉作湯神社本殿
それほど温泉については時の治天の君から庶民までがその効能に浴した話しがいくつも記されているが、世界最古の温泉宿・慶雲館が建つ西山温泉の名は残念ながら記紀など官製古文書には出てきていない。

なのに、なぜ? ギネス認定がなされたのかという疑問がでてくる。「細かいことが気になるのが悪い癖」な・・・ワ・タ・シである。

宿の当主の説明では、ギネス世界記録の認定にあたっては、分家に古くからある「墓石に和銅4年(711年)の年号などが刻まれていた」との記録がポイントになったということである。

伝わるところでは、開湯は藤原鎌足の長子、藤原真人がこの地を訪れたとき、湯川のほとりから噴き出す熱湯をみつけた慶雲2年(705年)とされ、宿の名はその元号に由来するのだそうだ。

なんとも1300年前も遠い昔の話しで、世界最古をとやかくいうのも野暮というもの。

ということで、チェックインした部屋は3階の月見台テラス付きの和室であった。

⓪月見台付き和室12畳

月見台付きの和室12畳
テラスへ出ると、真下に早川が流れている。ただ狭い渓谷に建っているので、眺望は今一つ。

それではと、まず、夕食前に慶雲年間開湯の霊験あらたかな温泉に浸かることにした。

露天風呂など幾種類かの温泉が楽しめるのだが、わたしは最上階(4F)にある広々とした「岩風の湯」を利用した。

⓪温泉慶雲館 展望風呂 石風の湯

岩風の湯、ひとり占め
入室するとほかに入浴する人もなく、なんとも贅沢な時間であった。

湯槽に豊かに充ちたお湯は透明で、ゆったりと体躯をしずめて掌で掬ってみるとかすかに硫黄の臭いがした。

やはり温泉は硫黄の臭いがないと、効能がないような気分になるから不思議だ。

風呂から上がり部屋で一休みして、2階に用意された個室へ移動、夕食タイムである。

⓪個室での夕食

2階の個室で食事をとる
当日のお品書きは次の通り。

⓪慶雲館 夕食お品書き

お品書き
最近の旅館、料理の盛付やメニューに工夫がないとお客が満足しないのだろう。面白い料理が出てきて眼も舌も愉しませてくれる。

⓪先付・前菜

先付・前菜
慶雲館もお品書き通りに、頃合いを見計らって一皿一皿、仲居さんが丁寧に供膳してくれた。

⓪お造り・右の茜鱒と左の五月鱒

お造り 地場の茜鱒と五月鱒
和室であるが、座卓ではなく椅子に坐っての食事。

⓪吸い物・山菜の沢煮椀

吸い物
高齢化社会に対応したテーブル席での食事。

⓪山女魚の塩焼き

山女魚の塩焼き
それがありがたいと思うようになった72歳の自分である。

⓪煮物・蕪釜牛肉そぼろ味噌射込み

蕪釜牛肉そぼろ味噌射込み
最近はお酒もほどほどというか、この日もグラスビール1杯で終了、かつての「赤坂の帝王」とブイブイ言わせたわたしも、齢には勝てぬ。

⓪どんぐり麺
しのぎ どんぐり麺

そしていよいよメインの名物・「甲州牛溶岩焼き」なるものがお膳に置かれた石で焼かれるのだが、「お~っ!」と感嘆の聲を漏らしながら、頬張っているうちに、大事な写真をこの品だけ撮るのを忘れてしまった。

細君に先ほど確認したが、彼女は食べるのがそもそも専門とあって、食事中に写真を撮るなどという無粋な行為はしないため、ここに自作のものはない。

でも、HPから1枚拝借し、お目にかけることにする。

甲州牛の溶岩焼き

HPより 甲州牛の溶岩焼き
A5の甲州牛とあって柔らかくておいしいお肉であったことはお伝えしておく。

旅館自体が広々としており、ゆったりとした空間にほどよく宿泊客が見えて、そこには贅沢な時間が流れていた。

⓪ロビーから富士川の支流早川を見る

ホテルの眼下に早川が流れる
そして、館内で会ったお客のほとんどが欧米からのインバウンド客であったのには、ギネス!恐るべしと驚いたところであった。

そして、この慶雲館でもうひとつ語っておかねばならぬのが、宿から奥へ数分のところにある山里をぜひ訪ねてもらいたいということである。

⓪鍵屋全景

奈良田の鍵屋
この地には実は、天平時代の開湯後、孝謙天皇(聖武天皇と光明皇后の娘・阿倍内親王)が病平癒を願っていたところ夢のお告げに西山温泉が顕れ、早速、ここへ行幸し8年間湯治逗留したとの伝説が残る「奈良田」という山里があった。


⓪奈良法王神社

奈良法王(斉明天皇)神社
「奈良田の七不思議」という伝誦が残るが、そのひとつに地名の由縁があった。

早川の河原から天皇居宅 (奈良王神社の鎮座地)までの土地が七段に分れていたのに気づかれた女帝が、「都も七条、ここも七段」、ここも「奈良だ!」と口走ったことに由来するという。

⓪奈良田の七段

奈良田の七段
なんだか親爺?ギャグからきた地名だというのである。

⓪西山ダム
西山ダム
こんな甲州の山深い何の変哲もない里に藤原真人(藤原鎌足の長子)による開湯伝説や女帝の御幸など天平時代のやんごとなき人物たちの伝誦が残されているのは、まことに興味深く、実に不思議というしかない。

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