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2024.11.05
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ある日、私はビルのエレベーターに一人で乗り込み、目的の3階のボタンを押しました。しかし、エレベーターはなぜか3階に止まる気配がありませんでした。何度ボタンを押しても無反応で、代わりにエレベーターはまったく意図しない方向へと進んでいきました。表示された階数が次々と変わる中、突然「-1階」という見慣れない表示が目に飛び込んできました。そんな階数は見たことも聞いたこともなく、エレベーターのドアが開いた先には、まるで異世界のような不思議な光景が広がっていました。薄暗い空間には、どこか不気味な雰囲気が漂い、見たこともない植物が生い茂っていました。妙に冷たい風が吹き込んできて、足元から背筋にかけて冷たさが走ります。私は思わずエレベーターの外に出ようと一歩踏み出しましたが、その瞬間、何か得体の知れない不安感に襲われました。目の前に広がる未知の空間に引き込まれそうな感覚に囚われ、足を踏み出すことをためらいました。ここから先に進んではいけないという直感が働き、私は立ち止まりました。考え直して、再びエレベーターの中に戻ると、心臓が激しく鼓動するのを感じながら急いで「閉」ボタンを押しました。ドアがゆっくりと閉じ、エレベーターは再び動き出しました。私は再度3階のボタンを押し、何事もなかったかのようにエレベーターは上昇を始めました。先ほどの異常な体験が嘘のように感じられ、エレベーターはスムーズに3階に到着しました。扉が開くと、見慣れたオフィスの廊下が目の前に広がっていて、ホッと安堵の息をつきました。奇妙な-1階の出来事が現実だったのか、それとも何かの幻だったのか、今でもはっきりとはわかりませんが、あのとき一歩踏み出していたらどうなっていたのかと思います。
2024.04.05
朝ドラ「寅に翼」に出てくる四谷見附橋が長池公園に
4月スタートのNHK朝ドラの「寅に翼」が面白い。
また主演の伊藤沙莉の演技が可愛らしく、これから朝を迎えるのが楽しみになってきた。
ところで、ドラマのなかで寅子の通学時に渡るバロック様式の橋梁が最初から気になってみていた。
そしたらネットでこれは八王子市にある長池公園(八王子市別所2丁目58)に架かる橋なのだとわかった。
写真を調べてみると、この趣のある橋の写真があった。
当然、路面電車など走ってはいなかったが、あれはCGなのだという。

そこで、ブログにはその時、撮った写真を幾枚か掲載し、CGでなくても素晴らしい景観を誇る公園であることをお知らせしたいと思った。
時間の許される方は気候の良いときに訪ねてみられてはどうでしょうか。
大将・昭和の時代の雰囲気が少し味わえる気分の良い公園です。
2024.04.03
泊まってみたい宿 ギネス認定世界最古の温泉宿 西山温泉・慶雲館
かねて参詣したいと願っていた身延山・久遠寺へこの3月、ようやく1泊の旅で叶うこととなった。
そこで宿をどうするかとなったが、細君が近くの西山温泉に世界最古の温泉宿とギネス認定された慶雲館という旅館があると云う。
当日は眼目の身延山久遠寺をゆるりと参詣してから4時過ぎに宿へ到着した。
リニア新幹線のルートになっているらしく幅の狭い県道を往来する工事用の大型ダンプとすれ違いながらの運転は、鄙びた温泉をイメージしていたわたしは少々閉口した。
日本最古の温泉といえば、日本書紀に舒明天皇(在位629-641)が3か月も逗留した有馬温泉や有馬皇子や斉明天皇(在位655-661)が訪れた紀州の白浜温泉(牟婁温湯)の名がでてくる。
また風土記の伊予の国・逸文では、「湯の郡」では医薬・温泉の神さま少彦名命(スクナヒコナノミコト)が別府温泉の湯を海底に樋を引き道後へと温泉を導き、瀕死の大国主命を蘇生させたという有名な逸話が載っている。
さらに出雲国風土記の「意宇の郡(オウノコオリ)」には、「川の辺に出湯あり。・・・男も女も老いたるも少(ワカ)きも、或いは道路に駱駅(ツラナ)り、或いは海中を洲に沿ひ、日々に集い市をなし、まがひて宴す・・・沐(ユアミ)すれば・・・万の病ことごとく癒ゆ・・・神の湯という」と、現在の玉造温泉が湯治客で市も立つほどに殷賑を極めている様子が活き活きと描写されている。
なのに、なぜ?
ギネス認定がなされたのかという疑問がでてくる。「細かいことが気になるのが悪い癖」な・・・ワ・タ・シである。
宿の当主の説明では、ギネス世界記録の認定にあたっては、分家に古くからある「墓石に和銅4年(711年)の年号などが刻まれていた」との記録がポイントになったということである。
伝わるところでは、開湯は藤原鎌足の長子、藤原真人がこの地を訪れたとき、湯川のほとりから噴き出す熱湯をみつけた慶雲2年(705年)とされ、宿の名はその元号に由来するのだそうだ。
なんとも1300年前も遠い昔の話しで、世界最古をとやかくいうのも野暮というもの。
ということで、チェックインした部屋は3階の月見台テラス付きの和室であった。
それではと、まず、夕食前に慶雲年間開湯の霊験あらたかな温泉に浸かることにした。
露天風呂など幾種類かの温泉が楽しめるのだが、わたしは最上階(4F)にある広々とした「岩風の湯」を利用した。
湯槽に豊かに充ちたお湯は透明で、ゆったりと体躯をしずめて掌で掬ってみるとかすかに硫黄の臭いがした。
やはり温泉は硫黄の臭いがないと、効能がないような気分になるから不思議だ。
風呂から上がり部屋で一休みして、2階に用意された個室へ移動、夕食タイムである。
しのぎ どんぐり麺
そしていよいよメインの名物・「甲州牛溶岩焼き」なるものがお膳に置かれた石で焼かれるのだが、「お~っ!」と感嘆の聲を漏らしながら、頬張っているうちに、大事な写真をこの品だけ撮るのを忘れてしまった。
細君に先ほど確認したが、彼女は食べるのがそもそも専門とあって、食事中に写真を撮るなどという無粋な行為はしないため、ここに自作のものはない。
でも、HPから1枚拝借し、お目にかけることにする。
旅館自体が広々としており、ゆったりとした空間にほどよく宿泊客が見えて、そこには贅沢な時間が流れていた。
そして、この慶雲館でもうひとつ語っておかねばならぬのが、宿から奥へ数分のところにある山里をぜひ訪ねてもらいたいということである。
早川の河原から天皇居宅 (奈良王神社の鎮座地)までの土地が七段に分れていたのに気づかれた女帝が、「都も七条、ここも七段」、ここも「奈良だ!」と口走ったことに由来するという。
2024.02.29
泊まってみたい宿・奈良の「オーベルジュ柿本屋」
奈良の若草山焼き観覧のついでにかねて気になっていた「信貴山絵巻」(朝護孫子寺蔵・奈良国立博物館寄託)を一目見たく、信貴山に一夜、宿をとった。
ご主人によれば「オーベルジュ柿本屋」は朝護孫子(チョウゴソンシ)寺の参詣者に対する茶店として明治時代に開業し、120年の歴史を誇るとのこと。もとはもう少し下の方にあったが、参道のルート変更により現在の場所へと転地してきたのだそうだ。
奈良のホテルといえば最近でこそポツポツ贅沢な宿ができているようであるが、評判の良い老舗の宿といえば「奈良ホテル」くらいしかないのだと思っていた。
ところが、信貴山中腹に建つ「オーベルジュ柿本屋」に泊まって、その認識を改めねばならぬこととなった。
部屋、料理、部屋からの景観、温泉、スタッフの応対・・・と、すべてに満足がいく老舗旅館であったのである。
われわれの部屋は3階の305号室、、2017年3月OPENの真新しい角部屋で、2台のセミダブルベッドを寄せて並べたハリウッドツインの部屋に、琉球畳の座敷がつづく「ZEKKEI パノラマ コーナービュー・プレミアムフロア」と銘打たれた、まさに絶景が愉しめる部屋であった。
北西の窓から信貴山山腹に伽藍配置された朝護孫子寺の威容が望める。
また、バルコニーに出ると奈良盆地はあいにく雲の下に隠れていたが、遠くに大和高原の山並みが望めた。
貸切状態の温泉で疲れた身体をほぐしたあとに、夕食は個室に分かれた2階の和ダイニング・「くにのまほろば」で摂った。
友人を入れた3人で当日の平群郡の神社巡りに花をさかせながら食事を愉しんだが、きれいに盛り付けも美しい、味付けも上品な料理に舌鼓をうった。
板長の創作料理にびっくりしたひと晩である。
朝、窓を開けると朝護孫子寺から朝の勤行の読経の声が谷を越えて耳に届いてくる。身も心も清々しくなる泊まってみたい宿である。
2024.02.16
闇夜に妖しくおどる紅蓮の炎に酔った奈良・若草山焼き
令和6年1月27日、古都奈良に早春の訪れを告げる伝統行事である「若草山焼き」を観覧した。
ということで、令和6年こそと関係者の方々も期するところがあったはずである。
毎年、ニュースで目にしては「あぁ!一度、見に行きたいね」と語るだけに終わっていた若草山焼き。
それが11月下旬のある日の夕食時、施設に入っておられる母君の見舞いで月の半ばを奈良で過ごすゼミの友人のことが話題にのぼった。
そのとき、細君が「もうすぐ若草山焼きね」とポツリと呟いた。
そのひと言で、なんととんとん拍子で奈良の道行きが決まった。
何せ、6回目の干支をこなしてきた、いまや逆算の人生を歩む老夫婦である。
思い立ったが吉日と、すぐに日程を相談し、寝場所を確保した。
山焼き当日は夕食を楽しむ余裕はないと、観覧予定地の奈良公園近くに気楽なホテルを探した。
そして、折角だからと予て気になっていた信貴山の朝護孫子寺にもお詣りしたいと、参道に建つ「オーベルジュ柿本屋」を二日目の「泊まってみたい宿」としてブログ掲載を決めた宿を予約した。
ついでに帰りに京都で一泊して、昨年無沙汰をしていた「割烹まつおか」に新年の挨拶を兼ねて立寄ることにした。
こうして三泊四日の若草山焼きの旅が流れ作業のようにまとまったのである。
それから奈良の友人に電話をして山焼きの情報収集をしたところ、車を出してくれることになった。また奈良市が募集している有料観覧席の手配もしてくれることになったが、残念なことに抽選の結果、後日、落選の連絡を受けた。
幼少時から町の商店街の抽選でも白玉ばかりでティッシュか飴玉くらいしか当たったことのないわたしである。当然の結末だといたって冷静に受け止めた。
そこからゆっくりと、山焼き翌日以降の予定を練ったのだが、それは次稿に譲る。
さて、山焼きの27日が近づくにつれ、奈良の天気が気になった。
ネットで調べると、若草山焼きがうまく燃え盛る年が少ないという情報ばかりが目についた。この時季は天候が不順で、雨や時によっては降雪、ひどいときは積雪というのだから、セッティングを勢い込んでやり遂げたものの、出立の日が近づくにつれ、だんだんとわれわれ二人の脳内には、奈良観光のポスターにある紅蓮の炎で燃え盛る若草山の景観が・・・山裾をチョロチョロと鬼火が走るショボイ映像へと変わっていった・・・。

そしていよいよ山焼き当日、奈良の天気予報は晴れ。前日はチラチラと降雪の予報であったが、雨男の身になんと僥倖! 事なきを得たのである。
京都駅から近鉄奈良駅へ。特急で30数分、ホテルチェックインの3時まで2時間ほどの時間があったので、まずは事前調査とタクシーで山焼きの御神火を大かがり火に点火する神事が執り行われる若草山山麓の野上神社へと向かった。
わたしはその行列から少し離れて鎮座する小さな祠で一人、準備をする根宜さんに、「ここが野上神社か」と訊ねた。
その間、細君はというと・・・地元のおじさんと何やら談笑していた。
これが一見の観光客には素晴らしく貴重な情報となったのである。
「ここで観てもあっという間に燃え尽きるので、山全体を一望するには奈良公園辺りからが最高だよ」ということで、当初予定通り奈良公園で安心して観覧することにした。
そして待ってもらっていたタクシーで、チェックインの時間までをつぶすため、ホテル近くの奈良国立博物館まで運んでもらった。
阿修羅像で著名な興福寺の「国宝館」も素晴らしいが、廃仏毀釈騒動のなか難を逃れてきた仏様やいまや廃寺となった寺院のご本尊などさまざまな仏像が所狭しと列ぶ様は圧巻である。
そしていよいよチェックインのため、当日の宿である「ホテル寧楽」へと向かった。
奈良博からは700mほどの距離である。
生駒山地の暗(クラガリ)峠越えで大阪へ至る「暗越(クラガリゴエ)奈良街道」を興福寺五重塔の袂辺りで猿沢の池へ斜めに下り、そのすぐのところに建つ4階建ての瀟洒な客室11室のホテルであった。
スタッフがまったくいない、無人のホテルだったのである。だから食事は勿論なしというか、誰もいない宿って・・・エッ?ということなのである。
前日にメールで入館と入室のPWと部屋番号が知らされる。それを持参して、ホテルのドアのパネルにPWを打ち込むという至って今風のITホテルだったのである、部屋までたどり着けるか・・・ドキドキなのである。
「ガチッ!」と音がして、扉を押すとホテル内には入れた。まずはひと安心。
ホテルで待合せていた奈良の友人も、初めての体験とあって興味津々の様子。
二階の部屋でまたパネルに暗証番号を打ち込む。
最後に「LOCK STATE」のボタンを押すとのこと。「カチッ!」ドアが開いた。成功!!
3人合わせて210ウン歳の老人たちは快哉を叫んだ。
そして先に部屋へ入った細君が「あら、広い」とひと言。
靴を脱ぎ(このホテル、入室時には靴を脱ぐシステム)、足を踏み入れた部屋は清潔でいたってシンプルな造作。
素泊まりの若い人たちには一新された猿沢の池や興福寺至近の立地といい、コスパ最高と、好評なのだろうと納得。
そこでひと休みしてから6時15分に打ち上げがはじまる花火に間に合うように奈良公園へと出立。
道中、「奈良でこんなに多くの観光客を見たのは初めてじゃないかな」と友人がつぶやく。
公園が近づくにつれ、多様な言語が耳に入り、まるで民族大移動の様相をていしてくる。東大寺南大門先の浮雲園地に場所をとった。
定刻の6時15分過ぎに「ボッ!シュルルル・・・」
暗闇となった夜空を見上げる。
色鮮やかな大輪の花火がひらく。
「うお~!!」 大歓声が湧き上がった。
「うお~!!!」
いよいよ山焼きの饗宴がはじまったのである。
風はほとんどなく、澄みわたった夜空に次々と花火があがる。
地鳴りのように一斉に賞賛の叫び声が上がる。
そして15分が経った頃、花火は終焉、遠く山裾と思しきあたりに点々と橙色の炎がちらつきはじめる。
点がつながりはじめる・・・
橙色の線になる・・・ 「アッ!燃えてる、燃えてる!!」
順調に燃え出したようである。
ここで、友人が説明してくれた若草山焼きのポスターの大事なカラクリを紹介しなければならぬ。
薬師寺の東塔と西塔の間に全山朱色に染まった若草山を撮った有名な写真は、シャッターを開いたまま1時間余、三脚で固定して撮ったもので、だから全山が燃えていると勘違いする人が多いという。
ただ、ビデオで分かるように、遠くからでも火勢が強いことがよく見えた。
ついでに友人は山焼きの有名な撮影スポットへも案内してくれた。
薬師寺の西南にひろがる大池越しに西塔と東塔の真ん中に若草山を見る絶景スポットであった。
翌日、京都に入り、「割烹まつおか」で山焼き観覧の様子を話したところ、今年はよく燃えたとニュースで云っていたと知らされ、二人して鼻を高くし、来てよかったと満足したものであった。めでたしめでたし!!!
2024.01.07
NHK大河ドラマ「光る君へ」、紫式部と共に生きた女たち
平安朝の摂関時代華やかなりし頃、この小さな島国に世界に類を見ない多くの優れた女流作家、歌人の輩出をみた。
そんな仮名文学に触れた青春時代、といっても、受験科目に古文が必須であったことから仕方なく難解な言い回しの古語の世界をのぞき込んだというのが正直なところであった。
夏休みを利用し初めて通読したのが菅原孝標(たかすえ)の娘が著した「更級日記」であった。
そこには13、4歳の少女が紫式部描く五十余帖の「源氏物語」を「几帳のうちにうち臥して引き出でつつ見る心地、后の位も何にかはせむ」と、源氏物語を読める幸福感の前には皇后の位なんかクソくらえと、物語の世界にどっぷりと耽溺している姿が描かれていた。
果てには、「光の源氏の夕顔、宇治の大将の浮舟の女君のやうにこそあらめ」と、光源氏に寵愛された夕顔や薫の想い人であった浮舟のようになりたいと、妄想を掻き立てているにいたって、当時十八歳であった私は随分ませた娘だなと思ったものだ。
当方、奥手だったのか、源氏の深遠な愛憎劇は難解で、試験問題も苦労したものだ。
そんな王朝時代の女たちのしるした日記や物語のなかに石清水八幡宮や石山寺といった名を度々目にしたのである。
それから半世紀を優に過ぎたころ、後宮官女たちが詣でたという彼の地を訪ねた。
琵琶湖の南端、瀬田川に裳裾を落とす伽藍山(標高236m)の麓に石山寺はある。
遠出の機会の少なかった平安時代、王朝貴族たちが物詣(ものもうで)先として足を運んだ代表的な寺院であった。
物詣とは神仏祈願が目的なのは当然だが、その道中の景色を愉しみ宮廷生活の息苦しさを忘れ、しばしの解放感を味わうプチ旅行といったものである。
ところが宮廷サロンで活躍した十二単の才媛方にとって、石山寺は息を抜く先というよりも悩ましい男女の愛憎ドラマの舞台となるなど異彩を放っているのである。
譬(たと)えば、夫が新たに通いつめる女への嫉妬の炎を鎮めようと石山寺の観音堂に籠った藤原道綱の母、更級日記の作者の伯母にあたる人物であるが、その著・『蜻蛉日記』に、間遠くなった夫を思い、石山寺堂内で一晩中泣き明かしたすえに見た夢の内容を記している。
それは寺の別当に男性の象徴とされる銚子で膝に水をかけられたという艶っぽいというか女の業を感じさせるエロティックなものである。フロイトも驚くこの霊夢、おぉ~怖っ!と腰の引けた男性方、気をつけて!!
また、冷泉帝の皇子・敦道(あつみち)親王との恋の駆け引きに疲れ切った和泉式部。彼女は紫式部と同じ藤原道長の娘・中宮彰子に仕えた女房の一人だが、都から逃げるように石山寺に身を隠し参籠していると、その想い人から手紙が齎(もたら)される。そこで、「あふみぢは忘れぬめりと」、歌を贈る。わたしのことなど疾うに忘れたはずなのに、逢坂(あふさか)の関を越えてまで便りを届けてくれたのはいったいどなたと、いじらしく拗(す)ねて見せる。これぞ年増女の手練れの技。
この後、数度の交信を経てさっさと都へ戻った和泉式部。親王から仏の道を途中で抛(ほう)り投げて「あさましや」と呆れられるや、「今ひとたびのあふことにより」と、今度は“貴方に逢いたくて~♪”と一気に歌いあげる。この一連のやり取り、さすが多情奔放の恋の達人たる面目躍如である。
一方で、幼き頃、源氏物語に夢中になった『更級日記』の菅原孝標女(たかすえのおんな)も、一七、八歳になっても読経もせず物語の世界に耽溺(たんでき)してきたのは余りに幼すぎたと反省し、現世の御利益や後世の往生を願おうと石山詣でへ向かう。
その道中、逢坂の関で雪に見舞われるや、「昔越えしも冬ぞかし」と35年前に東国から上京する途次、早く物語を読みたいと胸をときめかせこの関を越えたことを懐かしみ、「年月の過ぎにけるもいとあはれなり」と感傷にひたる。
こちらは歳を重ねても夢多き心映えが現生利益へと思いは変わったようで、先のお二人とは様相が少々異なる。
そして、参籠中に「中堂より麝香(ざかう)賜はりぬ。とくかしこへつげよ」と奇妙な夢を見ると、これは慶事の前触れに違いないと一晩中、誦経に励んだとある。かつて夢見る乙女であった人もいずれはこんな風に現金な姿になるのだと妙に納得してしまう飾らぬ女性ではある。
さて、「寺は壺阪。笠置。法輪。霊山は・・・あはれなるなり。石山。粉河(こかわ)。志賀」 、あまりにも有名な「枕草子」の一節である。石山寺を僅か二文字で昇華させたあたりはさすが王朝サロンの一方の旗頭、切れ味鋭い清少納言である。
そんなこんなの石山詣で。ご本尊の如意輪観音さま、いくら煩悩を打ち砕く法輪を手にしているとはいえ、艶めかしい御仁、また霊場を恋の道具立てに駆使して動じぬ女房、そして乙女心とリアリストの二面性を矛盾なく併せ持つ女人、果ては明晰な理屈で乱切りする女傑など多士済々の才媛にはタジタジといったところではなかろうか。
そして最後に控えるのが、王朝サロンの大スター、NHK大河ドラマ「光る君へ」の主人公、紫式部。
『石山寺縁起絵巻』に、物語の着想を得るため七日間参籠したとある。十五夜の月が琵琶湖に照り映える情景に接し、「今宵は十五夜なりけり」と不朽の名作・『源氏物語』の筆を落とした。
石山寺の本堂内に千年を経た今もなお、執筆に使った“源氏の間”がそのままリザーブされているとは、さすがは“日本紀の御局”と渾名された大物と感服するしかない。
『紫式部日記』のなかに後宮に伺候する女官たちの品定めの記述がある。譬えば、「若人の中もかたち(器量)よしと思へるは、小大輔、源式部」などと十一人の名を列挙し、褒めそやす。冒頭で欠点は言わぬと断っておきながら、文末にくるとこの容姿端麗な女官たちも「心ばせ(気立て)」という点ではこれはと思う人がいないとバッサリ。何のことはない、結論で辛辣に赤点をつける紫式部ではある。さすが透徹した観察眼と評するべきか、ただ単に底意地が悪いだけなのか判断は苦しく、難しい。
さらにその人物評はつづき、同僚の和泉式部さえも「けしからぬかた」と腐(くさ)し、古歌の知識がなく理論も覚束ない「まことの歌詠み」ではないとこき下ろす。
その極めつけが、かの有名な「清少納言こそ、したり顔にいみじうはべりける人」からはじまる激越な酷評の下りである。「さかしだち(利口ぶって)」、「いとたらぬこと多かり」と散々である。そして最後のとどめに、「あだになりぬる人のはて、いかでかはよくはべらぬ」と、浮薄な人の涯などロクなことはないと言って退けるのである。才能への嫉みであろうか、あまりの凄まじさに背筋が凍ったのはわたしだけではなかろう。
式部のいう清少納言の晩年の落魄(らくはく)ぶりは、著名人の暴露話や秘話を集めた鎌倉初期の『古事談』に二話掲載されている。そのひとつに「鬼形の如きの女法師・・・」と変わり果てた鬼相となってもなお、清少納言が「燕王馬を好みて骨を買ふ事なり」と戦国策の一節を引用し悪態をつく様子が描かれている。
中宮定子に出仕した清少納言と関白藤原道長の娘・中宮彰子に仕えた紫式部。両人が後宮にあった時期は重ならぬが、先に名声を博した清少納言は定子の死去と共に宮仕えを辞去する。その後の零落ぶりがあざとくも大袈裟に語り継がれたことは、紫式部による酷評と相俟って、漢籍を自在に操る清少納言という希代の才媛が熱い憧憬を巷間から集め、時代の寵児であったことを逆に証明しているのだと言ってもよい。
それからすると、伯母と姪の血縁にある蜻蛉日記と更級日記の作者は紫式部とは世代が前後にずれ、確執を生む関係にもなく、その舌禍に遭わなかったことは幸せであった。
珪灰石(けいかいせき)という珍無類の岩盤に拠る石山寺の奇怪な景観に触れた後宮女官たち。邪な心や仏にすがる直向(ひたむ)きな思いなど数多の想念がこの森閑とした本堂に充溢していると感得したとき、人の一生とはあまりに儚く矮小であると悟らされる。それ故に千年の時を経ても、その才媛たちの生き様や懊悩はあまりにも身近にあり、全き共感すら覚えてしまうのである。
2023.12.22
今年も、はや冬至! 一年がますます駆け足になってゆく
今年も師走にはいったと思ったらもう冬至。
恒例のゆず湯に一番風呂。と言っても、夕食の準備をしてもらっている細君より先に入ったというだけ・・・
気持ちがいい~!!
それにしてもなんだか年々、柚子の個数が減ってきているような・・・
その大宗は余生を送る二人にとっての楽しみとしている旅のことどもであった。
弥生にまず宇治を訪ねた。
来年になれば大河ドラマ「光る君へ」がスタート。
源氏物語の宇治十帖の薫と匂宮、きっと観光客が押し寄せるはず。その前に行っておこうと二人で申し合わせ、ひっそりと押し寄せたのである。
まず、しだれ梅園が有名な三室戸寺に参詣。
山腹の傾斜地にひろがる今を盛りの梅園を散策した。
さらに前から気になっていた日本最古の神社建築である本殿を擁す宇治上(ウジカミ)神社への参拝をようやく叶えた。
応神天皇の皇太子であった菟道稚郎子(ウジノワキイラツコ)をご祭神となす式内社である。異母兄である仁徳天皇に皇位を譲るため自殺したといわれる皇子である・・・
もちろん、宇治川にかかる朝霧橋の東詰めに建つ宇治十帖の“薫と匂宮”像も訪ねた。
最後には宇治橋の袂に建つ“紫式部”の像も当たり前だが、パチリ!!
皐月には、かねて夢であった北海道のドライブの旅。
大洗から苫小牧へ往復フェリーを使ってのマイカー旅。
総移動距離3800kmにおよぶ大旅行を敢行した。
富良野から留萌へ出て、日本海沿いに北上、稚内・宗谷岬を経て紋別、網走、知床、根室、弟子屈(テシカガ)、帯広とほぼ北海道の3/4を踏破した。
納沙布岬では北方四島を遠望するオーロラタワーが廃墟と化し、訪れる人もほとんどなく、北方領土への関心が致命的なまでに希薄になっていることを痛感した。
文月にはコロナ後、初めての本格的に執り行われた祇園祭に興じた。
久々に盛り上がったのはよかったが、人出が多すぎて閉口した。
そして師走になって息子家族を伴い、金閣寺、清水寺、天龍寺と久々のお上りさん観光を愉しんだ。
ちょっと孫に日本の美を知ってもらいたいと、デヴィッド・ボウイが愛した比叡山を借景とする正伝寺の日本庭園を教えてやった。
有名どころには修学旅行生の団体が復活し、インバウンド客の増嵩とも相俟って、京都市内は大変な状況となっていた。
清水さんの三寧坂が上り下りの人の行列で立錐の余地もないほどに人で埋め尽くされていたのには仰天した。
これ以上昇るのは危険だと断念し、私一人、仁王門の下で一人残り、清水の舞台を目にすることができなかった。
そうした楽しい思い出の一方、老人特有の病に襲われ、とうとう前立腺肥大症の手術をおこなった。
前立腺レーザー蒸散術 PVPという出血の少ない方式で、バイアスピリンを服用しているわたしには最適な手術であった。
熟練の主治医であったため、いまはきわめて快適である。
7月の下旬から手術、回復期と、合せて3か月半の断酒および旅行自粛の期間であった。
8月の下旬に高知の四国カルストや仁淀ブルー、朝ドラらんまんの牧野植物園の旅を計画していたが、あえなくホテルをキャンセル、涙をのんだ。仁淀ブルーの旅ははこれまで台風や大雨で二度計画し、中止の憂き目にあっているので、これで三度目のキャンセルである。
そんな苦境?にあっても久々に娘と細君との3人旅を予約していたので、葉月に熱海一泊の旅だけは不安を抱えながらも何とか根性で行ってきた。
そんなこんなのジェットコースターのような6回目の干支年もあと9日間で終わろうとしている。
7月中旬までは登り調子であった今年、7月末からは一転、急降下で谷底へとなだれ落ちていった兎年。
ようやく11月へ入り前立腺の不安もなくなり、気持ちよく酒席にも参加し、師走に入って大好きな旅も復活させることができた。
振り返ると、まぁいろいろあった干支の年であったが、終わりよければすべてよしということで、おおむね大過なく過ごせたということで満足としなければならない。
2023.12.22
ジェットコースターのようだった2023年の夏 信州ビーナスラインの夏
蓼科行最終日、いつもの定番コース、ビーナスラインを駆けて車山肩で高原の夏をすこしだけ味わう。
天気によって立ち寄る富士見台展望台から八ヶ岳の雄大な裾野の先に富士山の山影をみる。
そして夏のビーナスアインの名物、高原の稜線のうえに雲が湧き、刻々と姿を変えてゆく。
その雄大な景色はいつ見ても爽快である。
入道雲がなぜか大好きなわたしはいつも細君に笑われながらも、飽きずにパチパチと懲りずに写真を撮る。
幼き頃に綿飴やソフトクリームや兎や見えた入道雲はこの令和の世になってもその姿は変わらない。
昨今はニッコウキスゲも鹿害でかつてのような山肌一面黄色というわけにいかず、その迫力は半減以下となっている。
それでも踏ん張ってニッコウキスゲここにありと“ひと花”咲かせているのが健気である。
そのニッコウキスゲの自己犠牲のお陰か、高原の夏を彩るハクサンフウロが緑のなかから可憐に顔をのぞかせる。
カワラナデシコもわたしもがんばっていますよと、五弁の花びらを精一杯ひろげてみせる。
そして七月下旬なのに、高原ではもうワレモコウが咲き、いつも精霊トンボが羽をやすめている。
この日はコロボックルのテラスがハイカーでいっぱいなため、定番のココアを諦めた。
コロボックルのココアは絶品なのだが・・・残念・・・
そしてビーナスラインをくだって白樺湖湖畔の“すずらんの湯”で温泉に浸かって早々に山のいえへと戻った。
中央高速の夕刻の渋滞をさけるため明日の午前中出立の帰京にそなえたのである。
その時、わたしは8月に入って老妻と二人でもう一度、のんびり来ようと考えていた・・・。
2023.11.12
ジェットコースターのようだった2023年の夏 蓼科・善光寺・松本
7月下旬、猛暑の京都から東京へ戻ったが、こちらは酷暑の夏であった。
年々「日本の夏」が変貌してきていると強く感じるここ数年の異常気象である。
「金鳥の夏、日本の夏」のCMではないが、「縁側の江戸風鈴がチリリンとなる、その音色に涼感を覚えた」など、とんでもない。
「夜の帳がおりて窓を開け放つと、闇の底から夜気が首をもたげ、わたしの頬をするりと撫でて殊の外心地よい」といったふうな幼年時代の文学的風情は、この日本から疾うに失われているようだ。
不用意に窓を開けようものなら、エアコンで快適に保たれた室内に猛烈な暖気がなだれこみ、一挙に部屋はサウナ状態へと変じてしまう。
そんな東京ではサッサと所用をすませ、一路、信州へとトンずらした。
叔母たち一行も昨年5月の蓼科行が気に入ったと見えて、今年は夏の避暑地を体感したいとの希望で、早速に3泊4日の予定で蓼科へと車を駆った。
84歳の叔母は冥途の土産ではないが、一度、善光寺へお詣りしたいというので、行程に長野市ゆきを組み入れた。
善光寺・山門
善光寺のついでに隣接する東山魁夷館を訪れる予定であったため、初日は名画「緑響く」のモチーフとなった「御射鹿池(みしゃかいけ)」(茅野市奥蓼科)を事前に観ておくとよいと思い、諏訪南ICから奥蓼科へと直行した。
最近は観光バスのコースにも組み込まれ、御射鹿池の隣地に大型バスの駐車場が整備されている。
夏空を映すミラーレイク、御射鹿池
かつては道路から池の畔まで自由に行き来できたが、駐車場の整備とともに柵が設けられ、御射鹿池は道路から柵越しに見学する、まさにいっぱしの観光地と化している。
なんとも味気なくも世知辛い時代となったものだ。
そしてその日は蓼科名物の北インド料理「ナマステ」(東急リゾートタウン蓼科内)でおいしいタンドリーチキンとカレーで夕食。
絶品のタンドリーチキン
ママの「みどりさん」のいつものマシンガンのような途切れのない喋りを左から右へと聴き流しながら(失礼!!)の、心地よいひと時を過ごした。
ナマステの店内
そしてわれわれ夫婦とほぼ同い年のオーナーとママ、いつまで営業を続けてくれるのかなと、そろそろ心配になってきたこの頃ではある。
翌日、いよいよ今回の信州行きの目玉となった善光寺行きである。片道125KM、2時間15分の行程である。
いつも思うのだが、長野県は南北に広く、観光名所は数々あれど同一県内といっても移動が大変な県である。これまで長野市内を訪ねる際は、あちらで1泊というのがわれわれのパターンであったが、此度は蓼科3泊ということで、この日は日帰りという強行スケジュールであった。
叔母の念願であった善光寺へ車をつけた。猛暑の故か、予想に反し参詣客が少なく、ゆっくりと参拝が果たせた。
参拝客もまばらな善光寺本堂
そののち、隣接する長野県美術館へと移動した。
長野県立美術館
附属する東山魁夷館がお目当てだったが、なんと先週で「緑響く」の展示は終了したとのことで、常時展示の習作で我慢することとなった。
東山魁夷館 ラウンジから中庭をみる
その後、松本へと移動。松本ICで降りて青空を背景にそびえる国宝・松本城を見学。夕刻であったため城内見学は既に終了し、城郭をお堀越しにながめながらの散策となったが、青空をバックに聳える黒ずくめの天守閣はやはり格好良かった。
小天守を従える国宝松本城
そして夕食は松本のフレンチの名店「レストラン澤田(松本市沢村)」を予約していた。
レストラン澤田
久しぶりに澤田に予約の電話を入れたとき、「お父さんは(沢田宗武氏)お元気にされていますか?」と問うと、「実は父は昨年の11月に亡くなりました」とお嬢さんの返事。びっくりしたとともに、お世話になった澤田さんに随分と不義理をしてしまったと後悔の念が募ったが、後の祭りであった。
アンティークな造作の店内
安曇野の有明に宮大工の手になった純和風平屋づくりのお宅があったが、2度も泊まらせていただくほどのご厚誼を賜った。
その際には中房温泉の湯が素晴らしいと同氏の運転でわれわれ夫婦を連れていってくださったり、お嬢さんの手作りの朝食をいただいたりと心尽くしの歓待を受けた。
またある時は、小澤征爾氏指揮の「セイジ・オザワ松本フェスティバル」の貴重なチケットを手配していただくなど、本当にお世話になった。
お嬢様にならんでいただき手に入れた貴重なチケットでした
そんな思いで深きレストラン澤田で、懐かしいフレンチ料理をいただいた。
白身魚のポワレ
フィレステーキ
澤田の味である。いつものことだが、丁寧に作りこまれた料理のひと皿ひと皿にわれわれ5人は溜息と感嘆の聲を漏らすのみであった。
山のいえ ベランダより緑蔭を
蓼科の帰路は赤ワインでほろ酔いの私に代わり、従妹の夫が運転し、夜の中央高速をひた走り無事に山のいえへと到着した。
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